2024年11月6日(水) きょうの潮流
- 羅夢 諸星
- 2024年11月6日
- 読了時間: 3分
2024年11月6日(水)
きょうの潮流
被爆者で日本共産党員の峠三吉は、1953年に死去するまで、自身が作詩した原爆詩集を掲げ、警察の監視の目をかいくぐって被爆の実態を訴えました。GHQの情報統制下で原爆についての報道はできない時代でした
▼56年に原水爆禁止世界大会が始まって以降、渡辺千恵子、山口仙二、谷口稜曄(すみてる)ら多くの被爆者が核兵器廃絶を訴え、ある時は国連で、国の内外で原爆の非人道性を語り続けました
▼被爆者が国際会議などに出かける際は、誰かが同じ部屋に泊まりました。「容体が急変する可能性があるから。ケロイドの手当ても…」。福岡県原水協で働いていた筆者の父の話です。文字通り命を削る活動でした
▼語り部活動にはPTSDのつらさも伴いました。『はだしのゲン』の作者・中沢啓治は、映像のように鮮明に思い出した、と。それがマンガのリアルさにつながる一方、中沢を苦しめました
▼昭和の頃は、語り部活動にたいし「売名行為」「アカ」「核廃絶運動をするのは共産党」など不当な差別と偏見の言葉が。貧困、心の傷、被爆による後遺症と障害者差別、放射能被害への差別にくわえて、反共攻撃にもさらされたのです
▼並外れた努力でバトンをつないできた被爆者たちへの栄誉。日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞の受賞は、被爆80年を前に、運動の大きな弾みにも。12月のノルウェー・オスロでの授賞式では、被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんが世界に向けて講演します。核兵器の廃絶へいまこそ踏み出そうと。
「原爆が与えた苦しみ、感性で受け止めて」被団協・田中煕巳さん 埼玉県立浦和高でノーベル賞決定後初の講演
2024年10月17日 06時00分
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員田中熙巳(てるみ)さん(92)が16日、ノーベル平和賞の受賞決定後初めて、さいたま市浦和区の埼玉県立浦和高校で講演した。「広島と長崎の原爆が、人間にどれほどの苦しみを与えたのか。言葉ではなく、感性で受け止めてほしい。核の問題は若い人たちの未来のことだから」と訴えた。
体育館に集まった高校2年生から拍手を受ける田中煕巳さん=16日、さいたま市浦和区の県立浦和高校で(出田阿生撮影)
講演は平和学習の一環で、受賞決定前に予定されていた。田中さんは2年生約350人に、長崎の爆心地から3.2キロで被爆し、親族5人を失った体験を語った。無数の遺体を前に「何も感じないようにした」ことや、おばを捜しに行ったが、破壊しつくされた爆心地には「何もなかった」ことを伝え「時間がたてば復興すると思うかもしれないが、亡くなった人の時は止まっている」と話した。
◆生徒たち「教科書で学ぶのとは全然違うリアリティーがあった」
「今の政治家は核兵器の恐ろしさを知らないから、核の抑止力などと言う。核の使用を前提とした言葉。もし使ったら人類は滅ぶのに」とも。唯一の戦争被爆国でありながら、核廃絶に消極的な日本政府の姿勢について「核をなくすために、全力投球しなければいけないはずだ」と訴えた。
生徒たちは「教科書で学ぶのとは全然違うリアリティーがあった」と心に響いた様子。島村大輝さん(16)は「被団協のノーベル平和賞は、ゴールではなく始まりなのだと思った。核を使わせないように、私たちが行動していきたい」と話した。(出田阿生)
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